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トピックス/TOPICS

身近なテーマを題材に、雑文を書いています。興味のある方はどうぞご覧下さい。

[バックナンバー]
7.平成23年東北地方太平洋沖地震による津波は「想定外」だったのか

■マグニチュード9.0

2011年3月11日、宮城県沖を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生し、津波災害による死者は、4月7日午後8時現在、警察庁まとめで1万2,690人、行方不明者は1万4,736人に達しています。この未曽有の災害は、今まで日本近海では発生していなかった(と推定される)マグニチュード9.0という巨大地震によって引き起こされたことは間違いありません。しかし、地震学者が「考えもしなかった」、「想定外だった」と一様に口をそろえていう姿には違和感を感じました。歴史上なかったことは自然界で起こり得ないこと、にはなりません。過去、マグニチュードが8.8を超えた地震は6回発生しており、今回の地震は7回目にあたります。そのすべてはプレート境界で発生しており、日本列島はまさにその位置にあるのです。原子力関係の各種委員会、審議会の委員をされている先生方は、 「想定外」の出来事とすることで、自らの保身を図りはじめたのでしょうか。

■巨大津波の再現期間

福島第1原子力発電所の想定津波は5.7mでした。これは過去の津波災害などを参考に、土木学会の津波の評価指針に基づいて東電が津波の高さを想定したものです。何ゆえ、土木学会の評価指針を用いなくてはならなかったのか、という大きな疑問が残りますが、それは置いておくとして、今回の津波は、14、15mに達しました(産経新聞,2011.4.9)。想定の3倍近い津波が襲ったことになります。5.7mという想定は妥当なものだったのでしょうか。

実は、仙台平野では今から20年近く前頃から、平野に堆積した津波堆積物の存在が知られていました。その一つが貞観地震(※1)による貞観津波で、今回の津波と同じ程度の規模があったと推定されています。独立行政法人産業技術総合研究所活断層・地震研究センターでは、2005年から2009年にかけて、これらの堆積物の調査をおこない、過去に大津波が発生した時期を推定しています(図-1〜3)。それによると、石巻平野、仙台平野と福島沿岸で過去に発生した大津波の再現期間は、おおむね450〜800年程度と推定されます (図-4)。最後の津波が、西暦1500年頃に発生したと推定すれば、すでに再現期間の短い方は過ぎてしまっています。また、貞観地震津波を最後とすれば、再現期間の長い方も過ぎており、いつ、発生してもおかしくない状況にありました。この事実は、2009年6月、原発の耐震指針の改定を受け、電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書案を検討する審議会で上述の産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡村行信センター長に指摘されました。しかし、東電側は「被害がそれほど見当たらない。歴史上の地震であり、研究では課題として捉えるべきだが、設計上考慮する地震にならない」と答え、消極的な姿勢を示しました(時事通信,2011/03/27)。869年と言えば平安時代です。大きな被害があったとしても、それを詳しく書き残せるほどの人材も組織もなかったでしょう。それをもって「被害がそれほど見あたらない」と言い切る、無責任さ。
ちなみに、事故後、想定津波の妥当性を問われた東電の副社長は、「今回の経験を踏まえ、津波の評価を再度検証する必要がある (日経新聞,2011/4/9)」と答えていましたが、残念ながら福島第1には、もう原子力発電所としての「今後」はありません。


■原発の安全性に対する緊張感の欠如

4月7日の余震発生時、宮城県女川原発1号機では、2台の非常用発電機のうち1台が故障していたことが報道されています(朝日新聞,2011.4.8)。福島第一の事故があってからひと月もたとうとしているのに、非常用発電機の故障の有無さえ確認していなかった、このずさんさ。電源が失われることの重大性を本当に認識しているのか。また、青森県の東通原発は核燃料が使用済み燃料プールに保管されていましたが、3系統ある電源がすべて失われ、ディーゼル発電に切り替わりました。最後のバックアップが維持されたと考えることも出来ますが、最後のバックアップしか残っていなかったと言うことでもあります。本当に、こんなことでいいのか。もし、ディーゼル発電機が地震により故障していたらどうしたのでしょうか。

震度6強の揺れにあいながら、当初、原子炉には損傷がなかった(かどうか、怪しいが)ことを、「これだけの、有史以来最大の大地震、大津波でよくぞこれだけ持ちこたえてくれた」と言ったタレント物理学者がいました。しかし、原子炉は持ちこたえ(た,とされているが)ましたが、冷却システムはダウンしました。つまり「よくぞ持ちこたえて」はくれなかったのです。変動帯に位置する日本で原発を作った以上、「想定外」など愚かな言い訳に過ぎません。物理学者だから地震や津波に対する知識がないのは仕方ないとしても、本気で「よく持ちこたえてくれた」などと言っているとしたら、正気の沙汰とは思えません。もし、地震動だけで原子炉が大きく損壊し、メルトダウンしていたら、彼は何と言うのでしょうか。「想定外の地震や津波に襲われたのだから壊れたのは仕方がない。あきらめましょう。」とでも言うのでしょうか。どんな地震が来ても、津波が来ても、原発は壊れてはいけないのです。原子力発電所というのは巨大なシステムです。その巨大なシステムすべてが十分な耐震強度を持っているわけではない、配管や電気系統など弱い部分が必ず被害を受ける。そして、それがもとで電源が失われ冷却システムがダウンしたら、どうやってバックアップするのか。また、5.7mという想定の津波以外は絶対に来ないんだと信じていたとしたら、バカとしか言いようがありません。自然現象は統計通りにはいかないし、福島沿岸の津波の波高を統計値で推定するには、あまりにサンプル数が少なすぎます。つまり想定をもうけて対処するという方法では無理なのです。未知の津波に襲われることを前提にして、少しでも被害を小さくする対策を考えるべきでした。

今から十数年も前に今回の原発事故を予見していた地震学者がいました。彼の危惧は現実のものとなってしまいました。1997に岩波の「科学」に発表された論文が、岩波書店のホームページからダウンロードできます。原発の安全神話を語り続けてきた物理学者や我が世の春を謳歌してきた経産省の原発官僚達はどのような心境なのでしょうか。もう、取り返しがつかないところにきてしまいました。でも、これで終わりではありません。まだ、多くの原子力発電所が、残されているのです。

※1 貞観地震(869年Z.13,Mw=8.4)
城廓・倉庫・門櫓・垣壁崩れ落ち倒潰するもの無数.人々は倒れて起きることができないほどであった.津波襲来し,海水城下(多賀城)に至り溺死者1,000.流光昼のごとく隠映したという.これは,わが国最古の発光現象の記事である.震央を陸に近づければMは小さくなる.(日本被害地震総覧,p.37)

図-1 津波堆積物の推定年代(石巻平野)(横線は年代の推定幅,●平均値)
(宍倉・他(2010):AFERC News No.16)


図-2 津波堆積物の推定年代(仙台平野)(横線は年代の推定幅,●平均値)
(宍倉・他(2010):AFERC News No.16)


図-3 津波堆積物の推定年代(福島県沿岸(横線は年代の推定幅,●平均値)
(宍倉・他(2010):AFERC News No.16)



図-4 主要な津波堆積物の対比結果
(宍倉・他(2010):AFERC News No.16)






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