大谷崩れ -静岡県安倍川上流−
 
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静岡県安倍川上流にある大きな崩壊地を大谷崩れと呼んでいる。日本三大崩壊の一つだという。
なんだ、三大崩壊って。誰が決めたんだ。誰でしょう。ともかく、一般的にはこの大谷(おおや)崩れ、姫川水系浦川の稗田山(ひえだやま)崩れ、富山県常願寺川上流立山カルデラ内の鳶(とんび)崩れを言う。じゃあ、なにかい、大谷崩れの山を挟んで反対側にある七面崩れはダメなのか、ちょっと小さいけど。富士山の大沢崩れだって立派だぞ。雲仙眉山だっていいじゃん。揖斐川の徳山大崩壊やナンノ崩れはどうだ。などという人もいるかもしれないが、理由は知りません。確かに大きいことは大きい。この三大崩壊とやら、M田先生が若い頃、論文を書いておられます。M田先生、自分で言い出したんじゃ.....まさかね。

ちなみに崩壊土量だけでいうなら磐梯山1888年の爆発で生じた崩壊跡地がダントツだと思うが、あれは「崩壊」ではないのでしょう。じゃあ、なんなんだ。成因としては爆裂火口だが、それはきっかけであって、山体崩壊で生じた崩壊跡地であろう。

さて、大谷崩れであるが、見たとおり大したことはない、ようにみえる。が、これで結構、土砂生産が激しいらしい。大きな構造線に挟まれ破砕が進んだ泥質岩が分布しているため、ボロボロと崩れる。約300年前の宝永四年(1707)の大地震で崩壊したものだが、このような地質であること、また、冬期の凍結融解などの影響もあってなかなか植生が回復しない。

この荒涼とした風景に衝撃を受け、自然の荒々しさ、孤高ゆえの悲しさに魅せられたのが作家の幸田 文、72歳のときであった。幸田はその後、憑かれたように全国の大崩壊地(鳶崩れ,富士山大沢等)や地すべり地を見て歩く。そして、その名も「崩れ」という作品を書き上げたのである。

「プツプツと小石を噛んだような具合で車がとまり、ドアがあけられた。妙に明るい場所だなという感じがあり、車から足をおろそうとして、変な地面だと思った。そして、あたりをぐるっと見て、一度にはっとしてしまった。巨大な崩壊が、正面の山嶺から麓へかけてずっとなだれひろがっていた。なんともショッキングな光景で、あとで思えばそのときの気持は、気を呑まれた、というそれだったと思う。白然の威に打たれて、木偶のようになったと思う。」(幸田 文「崩れ」講談社文庫) 

このような荒廃地に緑を回復しようと、昔から砂防や治山事業がおこなわれてきた。その営みは自然の前にあまりにも微力ではあるが、営々と続けられてきたのである。まるでシーシュポスの神話のように。などと言ったら怒られそうだけど。
でもね、来るべき東海地震の時にはまたドッカンと崩れるだろうな、きっと。
かくして、シーシュポスは再び山に登るのであった。

  
位置図 国土地理院
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空中写真:国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
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